日本人の三分の一は日本語が読めないそうですね。※1

日本人の三分の一は日本語が読めないということであるなら、極めて単純に考えると
公務員の三分の一は日本語が読めないでしょうし、
新宿駅の乗降客の三分の一も日本語が読めないでしょうし、
ディズニーランド来場者の三分の一も日本語が読めないでしょうし、
プロゲーマーの三分の一も、やっぱり日本語が読めないのでしょうか。


”ゲームライター”ちょもす氏のインタビューが、いろいろと話題です。
https://wellplayed.media/interview-chomosh-20190814/

前後編通して面白いので是非読んで欲しいのですが、話題となっているポイントはここです。

――実際、プロゲーマーになる人ってどういう人だと思っていますか?

ちょもす:

医者、教授、社長の息子。

これはプロゲーマーに限りませんが、ゲーム業界で表舞台に立つ人がそれなりの確率でこれにあてはまる……気がしてるんですよ。あと地主。

なんでかっていうと、儲からないから。

続けられる人がそもそも儲からなくていい人しかいないんですよ。どっかが親の年収とか調べてみてほしいですけどね。たぶん、すごい数字になるんじゃないかと。

いっとき、eスポーツの専門学校に通っている男の子が「家にお金があまりないから賞金を手に入れたい」みたいなことを言ってる画像がバズってたんですけど、金持ちの子供たちで成り立っている現実の中でこういう子供が産まれてるのは……うーんと思っちゃいますけどね。

――ゲームをやり続けられる環境があった人が活躍していると。

ちょもす:

今のプロゲーマーの生い立ちとかがもう金持ちの文脈だと思うんですよ。

もちろん金持ちじゃない人もいますけどね。でも、基本はお金持ちの人たちの世界だと思いますよ。まだ今は。

YouTuberとかもそういう傾向あるのかなと思ってます。長期的に何もない状態が続くけど、長期的に続けないとそもそも成功する芽すらない。だからある程度時間的、金銭的に余裕がないとスタートラインにも立たないし、その先も当たるかどうかってある程度ギャンブル要素がある。あらゆる意味で余裕がないと基本的には厳しいと思うんですよね。


で、これに対するプロゲーマー(それに準ずる人)の意見が下記のとおりです。




akikiさんの主張は、下記の通りです。
Ⅰ:私や私の周りのプロゲーマーで金持ちでない人はいる
Ⅱ:儲かる見込みが無いけどやる人=金持ちというわけでは必ずしもない
Ⅲ:a-金持ちの子でないからといって夢を諦めてほしくない。
       b-仕事にならないからといって好きなことをやめてほしくない
Ⅳ:タイトルが誤解されやすい

ストーム久保さんのは、下記の通り。
Ⅰ:プロゲーマーは儲からないので金持ち以外目指さないというのは少し不足がある
Ⅱ:私や私の周りにプロゲーマーで金持ちでない人はいる
Ⅲ:私は社会不適合者でゲームをすることでしか生きていけなかった
Ⅳ:そういう人もいるってことを知ってほしい

以上を前提とし、僕はこれらをポジショントークと考えています。3つの観点で、批判的に見ていきます。



① 「ちょもす」ないし「ちょもすのインタビュー記事」に明示的に言及しろ

SNSでは批判(クリティーク)対象を過度に抽象化・一般化(「これだから男/女は~」「〇〇出身は~」)したほうが、なんだか賢げな感じが出てよい的なニュアンスを感じることがあります。(これ自体がとても抽象的です)

この二人についても、そこまで過度な抽象化・一般化していないものの、「ちょもす」の「このインタビュー記事である」ということについては一切明言していません。
こういう形の彼らのツイートをちょもすが目にしたとき、ちょもすはどうすれば良いのでしょう。

明確に言及されているのであれば、「それは違います」とか「誤解与えてすいません」とか、コミュニケーションのやりようがありますが、この微妙な書き方だと、なかなかリアクションがしにくい。

こういう、微妙に対象をぼかした表現で書くというのは、批判対象者を保護するのではなく、批判対象者からの再批判を恐れていたり、そもそもそういった契機を与えず身内で完結させることを目論んでいるように見受けられます。



② 全然文章読めてない

これは自分の読解力も試されているので非常に難しい話ですが、ここは勇気を出してちょもすのインタビューから僕が認識したことを表明すると、
<「プロゲーマー」という職業は、現状では「プロ」になるまでの道のりが険しいうえに、なった後もさして儲からない>
ということでした。

具体的にはこの辺です。(傍線は筆者)

YouTuberとかもそういう傾向あるのかなと思ってます。長期的に何もない状態が続くけど、長期的に続けないとそもそも成功する芽すらない。だからある程度時間的、金銭的に余裕がないとスタートラインにも立たないし、その先も当たるかどうかってある程度ギャンブル要素がある。あらゆる意味で余裕がないと基本的には厳しいと思うんですよね。

故に、<そのような「プロゲーマー」を目指す人間は儲からなくても生きていける人、即ち「お金持ち」が多い>、というのが全体の論旨だと理解しました。

ここでは一貫して、ちょもすは「事実認識」について語っています。
ただし、引用した文の中でも「親の年収を調べてほしい」と言っている通り、これは客観的な事実ではありません。ちょもすの主観的な事実認識です。

ですから、ここに対して何某かの反論を加えるとすれば、「ちょもすの主観的な事実認識」が誤っていることを指し示す以外にはありません。

ところが、上に挙げた二人の主張は、形式的には「反論」になっていません。
双方、ベースラインにあるのは「私(もしくは私の周囲)は、金持ちでない」ということです。
もし、ちょもすが
「プロゲーマーは総じて金持ち!貧困層の家庭の子供は目指すな!」
というようなことを言っていたら(裏では言っているのかもしれませんが)、彼らの「お気持ち」は「反論」として適切でしょう。
しかしちょもすは、「現状はお金持ちが多い」と言っているだけです。「多い」ということは、「全部」ではありません。「少ない」側もいます。だから「私(もしくは私の周囲)は、金持ちでない」という主張は、「はい、そうですね」で終わりです。

「このゲームは、推奨スペックでプレイしたほうがサクサク動いて快適です。CPUはintel core i5くらいは欲しいです」
という主張に、
「私はcore i3ですが遊べていますが?」
というのは、端的に言えばクソリプです。

akikiさんの主張であるこれら3つは、藁人形論法そのものです。
Ⅰ:私や私の周りのプロゲーマーで金持ちでない人はいる
Ⅱ:儲かる見込みが無いけどやる人=金持ちというわけでは必ずしもない
Ⅲ:a-金持ちの子でないからといって夢を諦めてほしくない。

ちょもすは、「金持ちしかプロゲーマーにいない」「金持ちしかプロゲーマーを志してはいけない」「金持ちしか夢を追ってはいけない」などと一言も言ってません。
まして

       b-仕事にならないからといって好きなことをやめてほしくない

に至っては、もはや意味不明です。

ストーム久保さんのこれらも、同じ話です。
Ⅰ:プロゲーマーは儲からないので金持ち以外目指さないというのは少し不足がある
Ⅱ:私や私の周りにプロゲーマーで金持ちでない人はいる




そのうえ二人とも、


金持ちパターン以外にも、ゲームに狂っている人、ゲームに希望を持つ人もそれなりの対価を払ってプロを目指してゲームしているパターンがあるよねって話。

 

元の記事を否定も批判も攻撃もしないし、むしろ同じ意見だし、レスバトルはしない。


というように、一定の共感・同調を示し、これは「反論ではない」というエクスキューズをしている。


そもそも、非お金持ちのプロゲーマー(とそれに準ずる人)であるお二人を、ちょもすの記事は全く否定していない。そのうえ「議論したくない」「否定をしているわけではない」と言っているので、彼らが何を表明したいのかが全くわかりません。


③ ポジショントークに利用するな

僕が大学生の頃、仲の良い先生に「大学院に進学したい、できればその先も研究を続けたい」といった趣旨の相談をしたことがありました。男女一名ずつ、40代後半~50代前半の先生でした。
その際に先生達から揃って言われたのは、研究に対する熱意の話や私の適正についてではなく、「私は〇歳の頃に結婚して、それ以降就職(=大学の研究職)するまでの間稼ぎは無かったのでパートナーに食べさせてもらった。実家に余裕があるか、パートナーの理解を得る。そういう環境が必要」ということ。
ちなみに先生の分野はいずれも哲学系。これが理系や文系の中でも実定法とかだともう少し就職が楽だと聞いたことはありますが、人文系だと30歳で就職出来たら超優秀、という世界のようです。

それらの話を受けて、僕は結局大学院進学を諸々の理由で諦めるわけですが、それは「自分には太い実家もないし、稼ぎと理解のあるパートナーを得られる見込みもない」という短絡的な理由からではなく、
「稼ぎと理解のあるパートナーを得るための努力をしようとか、もしくはそれらが無い中でも頑張ろうと思うほどの熱意がないことに気付いたから」でした。


僕はこういった先生達の表明を、とても誠実だと感じました。
「頑張れば君も夢を叶えられるよ!」という話の、二億倍誠実です。
なぜ自分が今この立場にいるのか、もちろんそこには本人の努力というのも当然ありますが、
環境がそれを許したということを認め、かつそれを他者にきちんと伝える。
それを聞いた他者は、腹を括るか諦めるかを自由に選択できる。僕は、「自身が置かれている環境と推奨環境の差分」と「勉強・研究に対する自身の熱量」を比較衡量した結果、スパッと諦めて一般企業に就職しました。だから後悔は全くありません。

いっとき、eスポーツの専門学校に通っている男の子が「家にお金があまりないから賞金を手に入れたい」みたいなことを言ってる画像がバズってたんですけど、金持ちの子供たちで成り立っている現実の中でこういう子供が産まれてるのは……うーんと思っちゃいますけどね。

彼らはなぜ、「ちょもす」という名指しもせず、「反論」になっていないが「反発」している風の文章を書き、「夢は万人に開かれている」的な結論を出すのでしょうか。

プロ(やそれに準ずる人)が、「諦めなければ夢は叶う」的言説に与するのは、その言説が自身の立場をより強固にするからです。(ここでいう「夢」は、「プロゲーマーとして十分に生活できるレベルにある」こととしましょう)
「たしかにその通りです!」「目が覚めました!」という風に、彼らの成功体験を承認してくれるフォロワー(Twtterのそれではありません)が増えることで、プロ(やそれに準ずる人)の「夢」は本当に叶うことになります。

だから彼らは、ちょもすの意図した文脈を一切無視し、「反論」でも「批判」でもないけど当て擦り感はある文章を書き、「自分(や周囲)はこう頑張った」ということを喧伝するのです。

もし、誠実でありたいと望むのであれば、「プロゲーマー」を志す若者に、自分のこれまで歩んできた道のりをつぶさに開示し、当人達に覚悟を迫らせてあげるべきです。「こういう生活をする覚悟があんのか」と分からせるべきです。
もっとも、蓋を開けてみたらちょもすのいう「金持ち」と大して変わらなかった、ということもあるかもしれません。




結語

ちょもすのインタビュー記事に対する「プロ(とそれに準ずる人)」の、ここで見てきた意見というのは、下記二つの理由で問題があると思います。

①「それらが現状の「プロゲーマー」なる職業を取り巻く状況を適切に開示しようとしない自己保身、かつ元の文脈を無視したポジショントークである点」
②「批判対象を明示しないことで、再批判の場を半ば奪っている点」















まあ、もっとも、極論全部くそどうでもいいのです。
このブログにたどり着いて、ここまで読んでいる人は、どうせ少なからず同調しうるポイントがあるのでしょうし、そうでない人はそもそも読まないか、読んでも中身は伝わりません。
私が「誠実であれ」と求める対象や、誠実に対応してあげてほしいと望む対象の中にも私はいませんし、私が守りたいと思う対象もいません。
せいぜい、「ちょもすが何となくかわいそうだな」くらいの気持ちしかありませんし、かといって別にちょもすが困っているわけでもないと思うので、もはやこれは何に向かって書かれているのか、私もよくわかっていませんが、たぶん、怒る練習なのだと思います、それでは。



※1 http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/data/Others/__icsFiles/afieldfile/2013/11/07/1287165_1.pdf